門光子は、われわれの世代の最も傑出したピアニストのひとりだ。その繊細なタッチは、類い稀な美意識と情熱を伴って、すこぶる豊かに響く。彼女の演奏を聞くということは、精神的な体験となる。
(アンドリュー・ヨーク/作曲家=ギタリスト)
限りなく深い呼吸に満たされている門光子のピアノを聴くと、私は雲の浮かんでいる高い青空と、穏やかなそよ風を感じる。そこには限りなく豊かな沈黙の音楽がある。それは、日常を支配するエゴの呪縛からいつの間にか聴く者を解放し、穏やかな孤独と瞑想のうちに、「他者への優しさ」を取り戻させてくれるだろう。このような音楽なら、わたしは毎日でも聴いていたい。
(林田直樹/音楽ジャーナリスト)
カドミツコ—それは鍵盤の上をあでやかに踊る妖精の名ではなかったか? 白と黒のまだら模様のはざまを飛翔する、絣縞をまとった粋なスピリット。 その背中に生えた羽には繊細で奥深い耳がそなわり、音のかすかな始まりから最後の響きまでを精確に聴きとる。その指先は淡雪の柔らかさで音の触覚を優美にとらえる。日常に飽いた私たちの五感に、その妖精は、もっと遠くへ、さらなる不思議へ、とたえず呼びかける。
(今福龍太/文化人類学者)
私は、車で移動する時はいつでもできる限り門光子のCD「風の記憶」と「東方逍遥」を聴く。特に夜の時間にはそれらは至福のものになる。
(パウロ・ファツィオ—リ/ファツィオーリ・ピアノ社長) |
凛とした冬空のしたで大きな樹の幹に触れたとき、”ああ流れているのがわかる”と門さんは言った。見えない生命の流れを感じとるその手は、未知の音をつむぎながら、わたしを遥かな地平線へ連れてゆく。
(港千尋/写真家)
門光子さんのしなやかな手と指。その先からは、天空に向かって響きの靄(もや)が上昇しているように感じます。その靄に光りが差して乱反射するかのような反響し合うピアノ。そこに、さらなる響きの靄がたちこめてくると、音の流れる方向を見失ってしまうのです。門光子さんの響きの靄につつまれるような無方向な音楽を、こらからも作っていきたいです。
(藤枝守/作曲家)
新たな作品、着想、技法、そして響き、私にとって門光子は真のピアニストと言える。彼女がピアノという楽器の完成の過程に興味を持ち、ファツィオーリを「魔法の箱」として選んだのはごく自然な事だ。私は、これらの録音が人々を魅了し、大成功するのを確信する。
(ジョス・ファン・インマゼール/指揮者・ピアニスト)
ここには日常生活とは違った特別な時間が流れている。総じて、弱音を中心とした、瞑想にも通じる世界。門の演奏は、一見クールな装いながらも仄かな温もりを持ち、普遍的でソフィスティケートされている。プログラミング、演奏家の個性、ピアノ(ファツィオーリF278)、ジャケット、それらすべてが一つのコンセプトに貫かれていてCDそのものがアートの次元に高められている。持っていて嬉しい。ダウンロードもコピーも簡単にできてしまう時代にCDが行くべき道はこれしかない。
(「Across the universe」CD評:那須田務/音楽評論家) |